読み終わりました。
「博・愛」。
このとおり、広くてこだわりのない愛情に満ちたお話でした。
涙よりもじんわりと沁みるお話でした。
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たとえば、家政婦の「わたし」の誕生日“220”と
博士の腕時計に刻まれた数字“284”が「友愛数」であったり、
17と19が「双子素数」であるように、
一見何の関係もないような数字たちの間に、
私たちが気がつかないだけで特別な関係があるということ。
つまり、全くの他人同士が偶然に出会っているように見えても
それは神の手帳に必然の暗号で記されており、
このことは宇宙の成り立ちを表す暗号のごときレース編みの中で
美しく静かな輝きを放っているということ。
博士が愛したのはまさにその真実である。
博士の記憶は80分しか持たない。
彼は80分毎に目の前に現れる一見ランダムな事象や他人に対し、
自分と相手との関係性を、それぞれに関係する数字を手がかりに
毎回必死で手探りする。
混沌とした界を、数字だけを頼りに読み解いていく
数学者らしいアプローチだ。
物語に登場するいくつかの数式の中で、
最も崇高な光を放つのは、 「
オイラーの法則」 だろう。
これは eのiπ乗が-1になる という、
対数の底であるeと円周率πそれに虚数単位のiの3つを結びつけた法則。
しかしながら、物語の中でこの法則が意味するものについて
博士はおろか作者ですら一切の説明をしてくれない。
そこにこの物語を読み解く鍵があるように思う。
まさにこの数式を理解することによって初めて
博士の過去、謎の未亡人など
個々の登場人物たちが見えない糸で編みこまれ
一枚のレース模様となって見えてくる。
映画ではどうやらこの数式のなぞが解明されるらしいです。
私はまだ映画を見ていないので、トンチンカンなこと書てたらすみません;
※ここから下はネタバレかも・・・なので、
一部白文字にしました。
この物語における 「オイラーの法則」の意味について考えてみた。
ネットの海に潜っているうちに、ひとつの仮説に出会った。
>オイラーの法則は、気まぐれな変数「 π(パイ) 」(おそらく博士)と
>控えめな変数「 e(イー) 」(おそらく 未亡人、家政婦)と
>虚数「 i(アイ) 」からなる。
>虚数「 i 」はルートマイナス1だ。
>「博士」、「わたし」そして「息子のルート」の3者が
>オイラーの法則のように数奇な縁で 互いに変換しあって、
>新しい始まり「1」を生む関係を作っている。
ここから導き出されるのは、
未亡人もまた、博士と亡くなった夫との間において
同様に稀有な関係を持っていたのではないかということだ。
(この場合、「息子のルート」は「亡き夫」に置き換えられる。)
博士の差し出したこの数式を目にし、
家政婦の口から息子がルートと呼ばれているのを知ったたとき、
未亡人は一瞬にして悟ったに違いない。
彼女はこの式の意味を正しく理解していた。
博士が愛したのは、未亡人でも家政婦のわたしでもなく
この数式に表される、出会いの神秘ともいうべき
神の真実だったのか・・・。
この作品が全体として柔らかな温かみを持っているのは
博士と未亡人との関係性を全く知らない家政婦の視点で描かれているからだと思う。
もしも未亡人の立場から描いていたならばもっとドロドロとした
愛憎劇があったかもしれない。
そういったものを匂わせるだけに留めていることが、
この作品に安らぎを与え、
すべてを語り尽くくさないことで
読み手がそこに別の物語を想像できるだけの深みを持たせている気がする。
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私もこの博士に数学を教わっていたら、
数学アレルギーにならなかったかもなぁ・・・。
でも、何より私が一番教わりたいと思ったのは、
上手なアイロン掛けの方法 でした☆ ∩∩
d(^w^*)ソレダ!!